8.淀橋浄水場
新宿の西口の高層ビル街と言えば、たいていの人は昔ここが淀橋浄水場であったことを知っているはずです。
三井ビルや住友ビル、NSビルに東京都庁舎などの高層ビルも、この浄水場の跡地の真ん中に建てられたものです。この淀橋浄水場ですが、なぜ新宿にできたのでしょうか?
淀橋浄水場ができるまで東京の水のほとんどは玉川上水と神田上水(神田川)に頼っていました。ところが、時は1886年(明治19年)夏、横浜に発生したコレラは7月には日本橋浜町に第1号患者が発生。8月に入ると東京市内の火葬場には新棺が山積みとなる事態に発展します。
患者数12,171名,死者は9,879名。拍車をかけるようにコレラ患者を出した多摩川沿岸の神奈川県西多摩郡長淵村(現在の青梅市長淵)で多摩川に汚物を流したというニュースが市民を恐怖のどん底に陥れ大問題になり、事件は江戸時代から続く水道(玉川上水など)への批判が高まるとともに、浄水場の計画が急務となります。
こうして玉川上水の水を浄水場に引きこみ、沈殿濾過しポンプ圧送した近代水道の原型である淀橋浄水場は1892年(明治25)12月21日の工事着手を皮切りとして、1899年(明治32)12月17日、1,500名の参列者を集め盛大な落成式のもと竣工しました。
当初の計画は玉川上水を直接流入させるため、現在の渋谷区代々木2丁目、新宿マインズタワー近辺の予定でしたが、中島鋭治技師の意見により西新宿の位置に設計変更されます。場所が移動されれば、玉川上水の水を新たに引く新水路が必要になります。
今でも東京ガス・グローエ・OZONE・ウッドワンのショールームのある新宿パークタワーの北西角の交差点から代田橋方向の道を通称「水道道路」と呼んでいます。
これは玉川上水の水を和田堀より一直線に引きなおした開渠の新水路跡です。写真は工事中の新水路です。地震などによる被害で水害を出したことももあり現在では水路は埋め立てられ道路になり、「水道道路」という名前が残っているだけです。新宿パークタワーのショールームにお越しの際は、満面の水が勢いよく淀橋浄水場に流れていた風景を感じてみてはいかがでしょうか・・・・
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