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3.新宿の誕生「淀橋」

淀橋水車時は昭和になり「新宿」という駅名こそあれ、新宿区という行政単位であった訳ではありません。ましてや西新宿などという住居表示はずっと後の昭和45年のことです。昭和の初期の新宿は「四谷・牛込・淀橋」の3つの区からなっていました。当時の新宿駅は「淀橋区」。この3区が統合し、新宿区として発足したのが、戦後の昭和22年のことです。何故「新宿区」という名称になったかというと、歴史的な由来のほか、新宿御苑や新宿駅が全国的にも有名であったこともあり採用されました。

ちょっと時を戻して、3区統合の話ですが四谷区、牛込区の両区は、明治11年、東京府15区のうちの区として誕生していましたが、淀橋区は豊多摩郡の中で淀橋町、大久保町、戸塚町、落合町に分かれていました。市街化するにつれ昭和7年に淀橋区が誕生するのですが、この時、落合町は中野区に組み込まれる予定でした。しかし落合町は市街化の早い淀橋区への編入を願いでて淀橋区となったのです。新宿区の地図をみて落合町の位置に違和感があるのは、このような経緯があります。

こうして誕生した淀橋区に渋谷で写真の卸屋を営んでいた人が移転したのを機に「○○○○写真商会」に社名を変えたというのが秋葉原にも進出した有名な「○○○○カメラ」さんです。淀橋さんという人が創業したのではありませんよ~
今では淀橋と名の残るものはほとんど無くなってしまいました。

淀橋欄干由来看板昭和初期の東京都新宿区西新宿近辺は淀橋区と言いました。淀橋とは神田川に架かっていた淀橋に由来するのですが、何故「よどばし」と呼ばれるようになったかは明確ではありません。成子村と中野村の間を流れる神田川にかかっている橋を餘戸(よど)、あるいは四所橋と呼び、これから転じたものか、また、寛永年間3代将軍家光が橋のそばで休息したおり、川の流れがよどんで見えるから淀橋にせよといったとか、さらに亨保年間8代将軍吉宗が山城国(現在の京都)淀にその景色が似ているので名づけたとか、そのほかいろいろの説があります。

写真にある由来の看板には「淀橋の名は江戸時代の三代将軍徳川家光が名づけたといわれています。古くからあるこの橋は、昔は(姿見ずの橋)とか(とま乞いの橋)と言われていたといいます。このあたりで中野長者といわれていた鈴木九郎が、自分の財産を地中に隠す際、他人に知られることを恐れ、手伝った人を殺して神田川に投げ込みました。九郎と橋を渡るときに見えた人が帰るときには姿が見えなかったことからその名がついたといわれています。江戸時代の初めに鷹狩のためにこの地を訪れた将軍家光はこの話を聞き、「不吉な話でよくない、景色が淀川を思い出させるので淀橋と改めるよう」にと命じ、これ以降、その名が定まったそうです。」とあります。
いずれも橋の名から地名が生まれたようです。

ちなみに四谷は荒野で、四谷四丁目交差点の辺りは左右とも谷でやぶが深く、一筋の道があるだけでした。そして、旅人の休む4軒の茶屋があり、この四つの茶屋が転じて四谷。その他4つの谷があったから四谷の説があります。牛込も地名としては無くなりましたが「込」は多く集まるという意味があり、大昔、この地一帯にたくさんの牛が放牧されていたので牛込との説が有力です。

四谷はやぶが深く・・・・信じられませんね!

投稿者 showroom : 15:57   本日のブログランキング、順位は?