1.新宿の誕生「内藤新宿」
江戸に幕府が開かれた慶長8年(1603年)の翌年に、日本橋を起点とし五街道が定められました。5街道とは「東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道」のことを指し、各街道にはそれぞれ一定数の宿が置かれ、宿は伝馬を提供する義務が課せられていました。
その中でも甲州街道は日本橋から最初の宿場、高井戸までの距離が長く、旅人が難儀していたため、中間にあたる地に宿場の設置が認められます。新しい宿の意味から「内藤新宿」と名づけられ、新宿の地名の起源となりました。
この「内藤」とは内藤氏が幕府に返上した屋敷地を宿場にしたため「内藤新宿」と呼ばれたのでした。リッチ?な内藤さんに感謝。!
宿場は現在の新宿駅周辺を想像しますが、江戸時代には駅などあるわけもなく新宿3丁目の交差点(伊勢丹)から四谷4丁目交差点の新宿通り辺りが「内藤新宿」でした。
新宿3丁目交差点は甲州街道と青梅街道(当時は成木街道)の分岐点であり「追分」と呼ばれていました。追分とは道の分岐点を意味し、現在でも新宿3丁目の交差点の交番の名称は「追分交番」と言い、新たに写真の道標も設置されています。
内藤新宿の「内藤」は現在でも、新宿御苑辺りに内藤町として名を残しています。この「内藤新宿」宿場の真ん中だった場所にあるショールームが
阿部興業株式会社の「A&Kショールーム」です。
由緒の正しいショールーム?なのです。
A&Kショールームにお越しの方には、帰り道にでもすぐそばにある。「東京みちの情報館」にお立ち寄りしてみてはいかがでしょうか?甲州街道や青梅街道などに関する詳しい資料をご覧になれます。
この頃の西新宿は角筈(つのはず)と呼ばれ「内藤新宿」とは全く無縁の地でした。要は何も無かったということです。
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